生理前のイライラって。。。

みなさん、PMSというのをご存じだろうか?今巷の若者の間で流行っているゲーム、かと思いきや、女性特有の生理に関する症状である。

月経前症候群(げっけいぜんしょうこうぐん、英: PMS; Premenstrual Syndrome)は、数か月にわたって月経の周期に伴って、月経の2週間ないし1週間位前からおこり、月経開始とともに消失する、一連の身体的、および精神的症状を示す症候群(いろいろな症状の集まり)である。

月経前症候群 - Wikipedia

 私は、PMSに悩まされてきた一人である。私の生理周期は大体32日くらいと少し長いのだが、生理の始まる2週間ほど前から、いろいろな症状が起こる。典型的なものが、イライラ。自分でいうのもなんだが、穏やかな性格で、だれかにイライラしたりすることはあまりない私である。が、生理前の2週間は違う。些細なことで、恋人や家族にイライラしてしまう。この前は、電車の接続が悪くて乗り換えに20分かかっただけで、人生で一番というほどイライラした。

ほかにも、集中力の低下がある。車は免許がないので乗れないが、愛(自転)車で出かけるときに、ぼーっとしてしまい、いかんいかん、こんなんで事故になったらあほらしいと思うのだが、集中力が続かない。横断歩道を渡るときに車が曲がってくることに気づかなかったり、追い越してくる自転車の音に気付かず、あわや衝突といったことにもよく見舞われる。忘れ物が多くなったり、人の話をきちんと聞けなかったりする点も、この集中力の低下の例だろう。

このようなPMSの症状は、生理、排卵といった女性特有のホルモンの働きと深く関係があるらしい。したがって、多くの女性が持つ症状であるが、近年に至るまであまり注目を浴びてこなかった。

私がPMSを知ったのは、友人からPMS改善のために低用量ピルを飲み始めたと聞いた時だ。彼女は私の目から見ても明らかなくらい、生理前になると精神的にどんよりし、攻撃的な発言をする。そんな彼女が、病院を診察し、ピルを飲み始めたときに私もと思って、自分でもいろいろ調べたのだ。

今は、私もピルを飲んだり飲まなかったりしているが、やはり飲んでいるときのほうがPMSの症状は穏やかなような気がする。気分のむらはやはりあるが、集中力の極度な低下は和らいでいるように思う。

さきほども既述したように、私の場合、生理周期のうち2週間はPMSの症状がある。つまり、イライラしやすい私、集中力が続かない私は、おおよそ人生の半分弱を占めているのである。なんということだろう。こうなってしまうと、私は本当に穏やかで集中力のある人間ですといえるかどうか微妙である。

いかに、女性ホルモンによって引き起こされる精神的な、または身体的な変化の特徴を理解できているかどうかが重要なのがお分かりいただけるとおもう。自分の生活の半分弱を占めるPMSのことを知ると、このイライラはPMSだな、と自分の中で再認識するだけでも楽な気持になる。

まさにPMS真っ最中の私。今日も、一日穏やかに過ぎてくれたことに感謝して、就寝します。

 

乙女の苦悩

2か月くらい前にピアスを開けたのですが、いまだ穴が安定しません。原因は、1か月過ぎたところくらいで一回、スタッドを取り外し、もう一度入れたときに、穴から少し外れたところにまた別の穴をあけちゃったこと。

お医者さんに言われたとおりに、触らなかったらよかったのに。変に不安になって、ネットでいろんな記事を読んだから、何が正しいかわからなくなってしまって、えいって、刺しちゃった。自分がばかみたい。そんな、おしゃれのための耳の穴ごときで。

でも、女の子はいつだって女の子ってだけで悩みが増える。これ食べたら太るかもとか考えながらご飯食べるときとか、サングラスかけて街に出たら、女優ぶってるとか言われないか考えるときとか、そんなときは女の子であることをちょっと嫌になる。

この前親友と話していたら、「足の毛のこと考えなくて済むようになったくらいから、男と女は楽しいね」という名言が飛び出した。半年くらいたって、お互い良く知るようになると、足の毛とかおしっこのこととか結構お互いにどうでもよくなってくる。そういうのを飛び越した相手への愛着が心地よくなってきたときに、愛っていいなと私も思う。

相手のことを愛するとき、今までの固定観念とかどうでもよくなる時がある。すべてが一回愛おしく感じられて、その時完全に恋に落ちているんだと思う。彼のチュー顔の写真とか、冷静に見たら気持ち悪いんだけど、送られてきてかわいいと思うとか。一回、全部受け入れちゃう。それから、やっぱりこれは違う、嫌いという風にもう一度相手を受け入れなおしていくのだろうが。そのさきでも、やっぱり相手のことを好きでいられたらいいと思う。

女の子だったら苦悩することがいっぱいあるんだけど、そんな私も含めてだれか男の子が私を完全に受け入れてくれた時、救われるものもあると思う。乙女の苦悩も無駄じゃなかったなと。女の子としてこの人が私を見ていてくれてる喜びに、ハッピーでいられると思う。

悩みは尽きないが、やっぱり明日は病院に行ってお薬もらってこよう。この耳の穴が安定するころには、この苦悩も無駄じゃなかったと思いたい。

 

読まれる文章の条件

フェイクニュースなんかが問題になる中で、ネット上の情報への批判が激しい。ネット上の情報は真実が捻じ曲げられていると。

でも、ずっと昔から情報は捻じ曲げられてきたよね?テレビの芸能ニュースなんて、都合のいい部分しかテレビに映さなかったし、TBSの朝ズバなんて、みのもんたの好きなことしか取り上げなかったじゃん。たぶん、活字の本でも、しょうもないことを書いてきたし、情報は伝達されるたびにやっぱり歪んじゃうよ。

だから、メディアリテラシーとか言って、その情報を受け取る側の教養が問題になってる。嘘とか偏見に満ちた情報はいっぱいあるから、自分がしっかり選ばなければいけない。それは、今も昔もおんなじで、現代は特に注目されてる能力ってこと。

すでに、情報には多かれ少なかれのゆがみがあると気付いている人は次に何を求めるか。それは、短さだ。いかに、情報を収集するのに短時間で済ますことができるか。

たとえば、幼児の発達テストの状況を思い出してほしい。青いつみきを選んでねと言われた、3歳児。テーブルの上には、青いつみきの写真、「青いつみき」と書かれたカード、最後に「三角で、素材は木で、子供が積みあげて遊ぶ青いおもちゃ」と書かれたカードがある。子供はどれを選ぶだろうか。

一つの情報を得るために何時間もかかるようなものは、今の世相にはあっていないと思う。短くてまとまってるものを読者は欲しているんだ。

私も時代の寵児だから、時間のかかるものは大嫌い。短くって納得のいく文章が大好き。嘘か本当か、信じれるか否かは、センスを磨いていかなければいけないけど、それは別の話。みんなが簡単に読める文章っていうのがこれからどんどん強くなっていくだろう。

無職になりました

私は今、シドニーのど真ん中に住んでいる。私は福岡出身のため、福岡より大きい規模の街に行くと圧倒されてしまう。人の多さ、物の多さ、建物の高さ、消費の速さ。対象が大きすぎる、あるいは多すぎて私は注意散漫になってしまって、頭がよく回らなくなる。

私は、あと一週間で現職を辞め、無職になる。坂爪圭吾さんが、無職について言及しているブログを書いていた時に重なって、自分も無職について考えている。

ツイキャスの中で、心に残ったのは、「結局、どこでドロップアウトするかだ」という言葉だ。大学を中退して、そのまま無職というパターン、私のように就活自体が嫌で、大学は卒業したけど、定職につかないパターン、正社員を何年かして無職になるパターンといろいろあるのだと思う。でも結局、どこで、この感じ私には無理だわと思うかであるという言葉に、そうだよねと相槌を打った。たぶんみんな結構嫌だなと思いながら、就活したり働いたりしてて、でもみんな嫌なことでも頑張らないと一人前じゃないと思い込んでるから、我慢大会を続けているだけで、いつかはその我慢も限度がきて、無職になるという感じなのかしらと思う。つまり、無職は社会的に「なまけもの」とか「そんなんじゃやってけないよ」というレッテルを張られる劣等生でるともいえるが、そんなに我慢してまで嫌なことはやらない勇気を持った人たちの緩やかな総称ともいえるかもしれない。

正直なところ、無職の人たちを見下している自分がいた。自分が、高校生のころや大学生のころ、ニートの人を見ると、輝ける場所があればいいのにみたいなことを思っていた。しかし、自分が大学四年生になって、みんなが就活をするという現象の中に埋もれてみて、これは私には無理だわと早々にあきらめ、とりあえず、知り合いのところにお世話になろうと思ってオーストラリアにきた。そして、いま、無職の第一歩に踏み入ろうとしている私は、以前の考え方とはかなり違っている。自分がいわゆる、輝く場所のないかわいそうなひと=無職というカテゴリーに属す予感は全くなく、今んところいろいろみてみたいとおもうから、定職につけないだけという考え方に変わりつつある。私は別に自分をかわいそうだなとは思わない。ほかの友人たちは仕事についてて、社会人何年目という感じで、学校の学年が上がるたびにお姉さん、お兄さんになっていく感覚で時間を過ごしているが、私はいつもぎりぎり感のなかで、次はこんなことしてみたいなーという空想と時々の実践の中で生きているから、私は時間に合わせて成長しない。何か経験をしたときに成長するから、ポケモンでいうと闘って、戦い抜いて成長していく人生である。まして、ちょっと強いポケモンと対戦したりすると一気に経験値をもらえてレベルアップできる。逆に言うと、時間がいくらたっても経験しなければ成長しない。所属してないから、何年どこそこに所属してましたということで、自分の力を証明できない。だから、傷ついても戦いに臨んでいかないといけない。人生はロールプレイングゲームと似てて、負けてももう一回闘うチャンスがある(お金が減ってたりはすると思う)。

正直、どっちでもいいなとおもう。仕事があろうがなかろうが。でも、私には就活して就職して、5年続けてとかは無理だと感じるから、闘うタイプの成長で行くしかないと思っている。そんなんだったら結婚できないよとか言ってくる人いるけど、そんなに結婚に夢を持たせてくれるような結婚をあなたはしてますかと問いかけたくなるし、その時に愛し愛され、助け合える人がいてくれればやってけると思う。同じ人と一生やっていくのと同じくらい、その時その時に最高のパートナーを見つけ続けることも難しいと思うから、どっちが優等でどっちが劣等とかはないと思う。

 

私がTバックを履く理由

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昨日食べた韓国料理がめちゃくちゃおいしかった。焼肉とスンドゥブチゲにいっぱいの副菜が素晴らしすぎる。こんなに、がっつり肉を食べることができる韓国人はきっと生命力が強いんじゃないかと考えてしまう。(いろんな部位のカルビを食べた。生のかにが唐辛子のソースにマリネされてた副菜とか最高)

今回は、私がTバック履くようになった理由を書く。実際のところ、タイツとかぴちっとしたズボンをはいたときとかに、下着の線が出るのがかっこわるいと思ったから、Tバックをはいているのだが、私のおんな心的にはそれだけではない。

私は、20歳くらいになるまで、自分が女の子(あるいは女性)であることがあんまり受け入れられなかった。別に胸が膨らんできたことや、生理になったこと、女子トイレに入ることに抵抗があったというわけではまったくなく、なんというか、自分が「かわいく」あることに自分自身が恥ずかしかったのだ。

たとえば、制服のスカート丈をちょっとでも先生にばれずに短くしようと努力していたり、セーラー服のリボンの結び方が大きくて可愛かったりすることを、自分ではすることができなかった。そういうことに一生懸命な女の子たちを見て、いいなーとか思ってたけど、いざ自分が鏡の前でそれをやってみると、こっぱずかしくて、人前にでていくなんて、絶対できません見たいな感じになってしまう。

あるいは、高校生の時から写真を撮ることを始めて、写真関係でいろいろな友達ができたのだが、その写真好きの友達(結構年上のおじさまたち)から、モデルになって写真を撮らせてくれと言われたときに、またこの違和感を感じた。いやいや、私撮ってなんになるのという気持ち。実際にカメラの中に映る私が結構イケてたこと、でもそれに少しでも気づいて、カメラの前でポーズとったり笑ったりしてる自分に自分で、「かわいこぶんなや」というつっこみを入れずにはいられなかった。そして、カメラをまっすぐ見ることはあんまりできず、すみません、勝手に撮ってくださいといって、何回かモデルをやった。

要するに私は自意識過剰なんだと思う。自分を「かわいい」と意識した時点から、何かがおかしくなる。すごく自暴自棄になったり、好きな男の子と話せなくなったり、あえてダサい服をきたり。いろんなことに支障をきたしていたが、時がやってきて、私は自分が女の子であることを爆発させたいと思うようになった。

ワンピースが着れるようになった。腰の線が見える服でも着るようになった。男の人と話すときはそういうモードに切り替えるようになったし、「男の人すきでしょ?」ってきかれたときに、「まあね」と笑って言えるようになった。

自分がかわいくなろうとすることに、抵抗感がなくなってから、昔より自由が増したように思う。笑いたいときに笑って、言いたいことを云えているような気がする。そして、自分をもっとかわいくしてあげよう、大事にしようという気持ちを持つようになった。

Tバックをはくようになったのも、そういう気持ちからだった。うしろから見たときにおしりがあらわになるわけだし、履いてる間も自分が「Tバックをはいている」という意識がある。そんなセクシーなものを自分が身に着けられるようになったのは、昔との大きな違いだ。自分がきれいとかかわいいとかそういう女の子特有のものに近づいたときに、「自分なんて」と思わなくなったということだ。

Tバックをはいていると、ちょっとセクシーなことを隠れてやっている感じが、うれしい。正直、何をはいてるかなんて、見る人から見たらすぐわかるのだが(私もわかります!)、いまやセクシーな自分、かわいい自分を人に見せることをいとわない。たぶん、生まれたときから、女の子として育ってきた人、中学生のときにスカートの丈を上げることに抵抗がなかったり、前髪をピンでとめれたりしていた女子たちとは、私の女の子ヒストリーは全然違うと思う。今やっと、女の子としての自分を受け入れられた24歳は、これからその女の子としてそのど真ん中を歩いていきたいと思う!

あなたはなにもしなくていい

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駅から出て、家に帰る途中、歌が聞こえてきた。道の向かいに、あの女の人が歌っている。シドニーには、なんて総称したらいいのかわからないけれど、ストリートアーティストたちがいる。路上で、歌を歌ったり、楽器を弾いたり、踊ったりする人たちだ。

 路上にはいろいろな人がいておもしろい。ショッピングセンターの前の角には、馬頭琴みたいな楽器で、「お母さんより素晴らしいものはない」という感じの歌詞の中国語の歌をエンドレスで引くおじいちゃんや、日中ベリーダンスを踊る男の子が、一日の終わりには『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』のBGMを流しながらきつねの仮面を売っていたりする(このネタわかります?)。

 そのストリートアーティストさんの中で、ピアノかギターと一緒に歌を歌っている女の人がいるのだが、私はその人の声と顔が最初から気になっていた。すごく寂しいビブラートのかかった声である。彼女が歌っていると、立ち止まって聞いてしまう。

 今日は、仕事が終わって、駅から家に帰る途中、彼女が路上で歌っていたから、家に帰らず、そこら辺の段差に腰かけて、この無料のコンサートを聴いていた。こんないい声がタダなんて、粋だよね。いま、家に帰らず、路上で歌を聴いてるよ、と彼氏ではないけど愛している彼に連絡を入れたら、電話がかかってきた。自分も聞きたいとのこと。すこし、一緒に聞いていたら、答えなくていいから聞いてほしいといわれた言葉が素敵だったので書き残したい。

 

 きみの笑顔をみるととてもうれしい。今君と一緒にいる時間が天国みたいだ。きっと君は天国から来たぼくへの幸運だと思う。ぼくは完璧な人間ではないが、今この瞬間きみを幸せにできればいいと思っている。未来ではなくて、今の君が幸せで笑ってくれたらそれがうれしい。ぼくは強い人間ではないから、ときに君を悲しませたり、落ち込ませたりするけど、きみは何もしなくていい。ぼくは今を君といれることに集中する。

 

という電話をもらった。

 

私は諸事情あって、彼氏彼女の状況にありたくない。でも、愛している彼から、きみはなにもしなくていいといわれたことがとてもうれしかったということを書きたい。もちろん私は生きている限り何かをしたり、しなかったりするわけだが、「なにもしなくていい」ということは「なにをしてもいい」ということの強い肯定だとおもう。なにかしたとしても、なにもしなかったとしても、それでいい。そんな君が好きだといわれたようで、とてもうれしかった。

完全肯定的に愛された経験はお持ちですか?私は、自分の親や家族が最初のそれにあたる。大人になるにつれて、特に遠くに離れてみて、再確認したこの完全肯定的愛だが、「ま、あんたのやりたいようにやんなさい。それでいいから」と私が、他のお子さんたちとは違うことをするときにこんな言葉で背中を押してくれた両親に、この人は私を完全に信頼しきっている!と感動した。たぶん、失敗こくよ、私。と思うんだけど、そんな失敗も死んだりしない限りはいいだろうと大きくみこして、「やりたいようにやれ」と言ってくれる親が正直すごいと思った。

私がやりたいと思ったことへの肯定、「私が」やりたいと思ったことなら別に何でもいい。何かよりも「私が」というところが彼らのみそであるところに、全幅の信頼と愛を感じた。

彼との関係は、いわゆる付き合うという肩書には私自身が置かれたくなく、愛しているけれど、彼女になりたくないという現状である。彼が心から私を愛してくれていると思う点は、家族が私に持つ全幅の信頼の愛ととてもよく似ているからだ。私が、こう思う、やりたい、あるいはやりたくないといったことに対して、君がそう思ったんならそれでいいんだね!みたいに無邪気に信じて話してくる。私の決定がいかに将来的に自分を不幸にするかとか、いい仕事を逃してこれからどうやって食っていくのかとか聞いてこない。君がそう決めたんならそれがベストなんだよみたいに言う。嘘かもしれないけど、私には彼は本気で言っているように聞こえるから、本当だと思う。本当にそう言っているんだと思う。それが、彼が私を愛していると思った点。そのかれに、「きみは何もしなくていい」といわれたことが今日一日の中で一番輝いた。

なにもしなくていい、というのはなにをしてもいいの強い肯定で、疲れてベッドで横になっても、海に行きたくなったから海で寝そべってても、仕事一生懸命頑張ってても、悔しくて泣いても、別にいいんかと思わせてくれるその安心感をありがとう。 

 

 

従弟よ

 

ずっと文章が書きたかったので、書き出してみる。特に、意図はないので、どういう風に発展していくかは全く未知だが、とりあえず、自分の生活とか考えくらいしか書くことがないので、自分のことを書く。

 

 今一番書きたいことは、私の従弟のこと。彼が就職活動がうまくいってなくて、能面みたいな顔になって、あんまり部屋からも出てこれてないみたいな話を母から聞いた。私と、その従弟は年の差1歳である。従弟は高校卒業の資格を取るのに時間がかかったり、私は大学を5年かけて卒業したりしたが、結果的に学年では1年の差があることは変わりない。 高校をお互いに辞めた経験があり、本を読むのが好きで感性が豊かな感じが似てる我々は、ちいさいころから、他の従弟たちも含めてじゃれあっていた思い出があるために、兄弟の次に身近な同世代だと思っている。

 

 そんな従弟が能面みたいな顔になってるらしいという情報が母経由で知らされた時、自分とは無関係じゃない経験をしているのだなと思った。

 

 私は去年、大学の最終学年であったために、他のみんなは就活という活動をしているという状況に置かれた。一斉に、みんながその活動を始めたということに圧倒され、自分も始めてはみたけれど、スーツの下には違和感を抱えていた。

 こころに違和感を覚える理由の一つがスーツを着るという行為。高校生の時から制服を着るのは、その団体への忠誠心の表れみたいで嫌いだった。けど、しょうがないなと思って着ていた。でも、大学に入って、制服を着なくてよくなった。ファッションに興味がある女子はおしゃれに、近くに住んでる女学生たちはパジャマで(私にはパジャマに見えた)、スポーツが好きな女の子たちはスポーツウエアで大学にいた(ちなみに女子大だったので、女の子しかいない)。

 

一度、制服を脱いでみたら、もう一度着るときに一山越えなければいけないようだ。なぜ、着なければいけないのかという疑問がわいてくるからだ。就活のスーツはいわば制服なので、一度脱いだ制服という概念をもう一度着させるところに何か問いを見出してしまう。なぜもう一度、制服を着なければいけないのか。なぜもう一度、同じにならなければいけないのか。その一山を超えられないと、社会人=一人前というところに到達できない。

 

みんな、自分を認めてほしいから、自分は意味があると思いたいから、一人前の社会人にどうしてもなりたいんだと思う。そのための手段として、もう一度制服を着ることをいとわないんだと思う。

 

私も、認めてほしい。君が生きてていい世界なんだよと言ってほしい。

 

でも、どうしてもスーツを着ることを私はしたくなかった。もちろん、就活を制服の問題に置き換えるとき、語りつくせない私の葛藤がある。しかし、一番象徴的な制服という観点からこの話を進めていくと、一度、自分という自意識が芽生えたからには、もう一度みんなと同じであることが絶対条件であるのを受け入れるのは、私には難しかった。

 

小学校から高校まで、集団の中で規律を乱さない、みんながよくなることが第一目標な時代から、一時の大学時代という自意識の目覚めを感じさせる時間を過ごさせて、どうしてまた同じところに私を引き戻そうとするのだろう。どうして、日本の人を育てるベクトルはこんなにいびつなんだろうと、教育というシステムを恨んでみても、これから先に変わっていくことに大いに期待はするとして、今この瞬間を生きる自分は、何とか折り合いをつけて、やっていかねばならない。あるいみ、あきらめてやっていくしかないのだが、一回きりの人生、やりたかったことだけ語って、本当はできなかったんだよねみたいに自分のストーリーを語りたくない。だから、葛藤があった。何とかこの追っかけられる感じから逃れないと自分を保っていられない。それが、私の去年の出来事だ。

 

今私の従弟にも似たような現象が表れている。彼が、就活向きでないのは明らかで、同じ色の制服と同じような髪形をした女の子たちが、全く同じ目的で大きなアリーナとかに説明会を聞きに来ているような異常な場所に耐えられるような子じゃない。みんなが自分の好きな歌手のコンサートで熱狂しているという類のたくさんの人だかりじゃなく、みんな迷いに迷って、自分探しみたいな言葉で焦っている同世代の若者がたくさんいる場所のエネルギーはどちらかといえば負だし、異常だ。そんなところにいて、違和感を覚えない従弟じゃない。

 

私は結局、大学時代にかばん持ちをしていた縁から、オーストラリアにたどり着いた。ワーホリビザだから一年しかないけど、とりあえず仕事は見つかったし、なかなか苦労したり楽しくしたりしている。私が、従弟より10歳くらい年上だったら、「私でもなんとか10年死ななかったんだから、あんたも大丈夫よ」みたいな発言ができるのだが、なんせ、一年は死ななかったよという経験談しか今は語れないから、助けになってあげられない気もするんだけど、それでも、なんか、私と同じような経験をしている彼を見て、私が思ったことや考えたこと、今でも引きずっていることを共有したいなと思った。 私も、結果的にあれから1年生き延びているけど、これから先は全くわからない。わからないから、従弟に何も言えないんじゃなくて、まあ一緒にやっていこうやない会みたいな団体を立ち上げる気持ちで、エールを送りたい。

 

頑張れとは言わんけど、従弟よ、あんたの行きたいところへお行きなさい。