読まれる文章の条件

フェイクニュースなんかが問題になる中で、ネット上の情報への批判が激しい。ネット上の情報は真実が捻じ曲げられていると。

でも、ずっと昔から情報は捻じ曲げられてきたよね?テレビの芸能ニュースなんて、都合のいい部分しかテレビに映さなかったし、TBSの朝ズバなんて、みのもんたの好きなことしか取り上げなかったじゃん。たぶん、活字の本でも、しょうもないことを書いてきたし、情報は伝達されるたびにやっぱり歪んじゃうよ。

だから、メディアリテラシーとか言って、その情報を受け取る側の教養が問題になってる。嘘とか偏見に満ちた情報はいっぱいあるから、自分がしっかり選ばなければいけない。それは、今も昔もおんなじで、現代は特に注目されてる能力ってこと。

すでに、情報には多かれ少なかれのゆがみがあると気付いている人は次に何を求めるか。それは、短さだ。いかに、情報を収集するのに短時間で済ますことができるか。

たとえば、幼児の発達テストの状況を思い出してほしい。青いつみきを選んでねと言われた、3歳児。テーブルの上には、青いつみきの写真、「青いつみき」と書かれたカード、最後に「三角で、素材は木で、子供が積みあげて遊ぶ青いおもちゃ」と書かれたカードがある。子供はどれを選ぶだろうか。

一つの情報を得るために何時間もかかるようなものは、今の世相にはあっていないと思う。短くてまとまってるものを読者は欲しているんだ。

私も時代の寵児だから、時間のかかるものは大嫌い。短くって納得のいく文章が大好き。嘘か本当か、信じれるか否かは、センスを磨いていかなければいけないけど、それは別の話。みんなが簡単に読める文章っていうのがこれからどんどん強くなっていくだろう。