私がTバックを履く理由

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昨日食べた韓国料理がめちゃくちゃおいしかった。焼肉とスンドゥブチゲにいっぱいの副菜が素晴らしすぎる。こんなに、がっつり肉を食べることができる韓国人はきっと生命力が強いんじゃないかと考えてしまう。(いろんな部位のカルビを食べた。生のかにが唐辛子のソースにマリネされてた副菜とか最高)

今回は、私がTバック履くようになった理由を書く。実際のところ、タイツとかぴちっとしたズボンをはいたときとかに、下着の線が出るのがかっこわるいと思ったから、Tバックをはいているのだが、私のおんな心的にはそれだけではない。

私は、20歳くらいになるまで、自分が女の子(あるいは女性)であることがあんまり受け入れられなかった。別に胸が膨らんできたことや、生理になったこと、女子トイレに入ることに抵抗があったというわけではまったくなく、なんというか、自分が「かわいく」あることに自分自身が恥ずかしかったのだ。

たとえば、制服のスカート丈をちょっとでも先生にばれずに短くしようと努力していたり、セーラー服のリボンの結び方が大きくて可愛かったりすることを、自分ではすることができなかった。そういうことに一生懸命な女の子たちを見て、いいなーとか思ってたけど、いざ自分が鏡の前でそれをやってみると、こっぱずかしくて、人前にでていくなんて、絶対できません見たいな感じになってしまう。

あるいは、高校生の時から写真を撮ることを始めて、写真関係でいろいろな友達ができたのだが、その写真好きの友達(結構年上のおじさまたち)から、モデルになって写真を撮らせてくれと言われたときに、またこの違和感を感じた。いやいや、私撮ってなんになるのという気持ち。実際にカメラの中に映る私が結構イケてたこと、でもそれに少しでも気づいて、カメラの前でポーズとったり笑ったりしてる自分に自分で、「かわいこぶんなや」というつっこみを入れずにはいられなかった。そして、カメラをまっすぐ見ることはあんまりできず、すみません、勝手に撮ってくださいといって、何回かモデルをやった。

要するに私は自意識過剰なんだと思う。自分を「かわいい」と意識した時点から、何かがおかしくなる。すごく自暴自棄になったり、好きな男の子と話せなくなったり、あえてダサい服をきたり。いろんなことに支障をきたしていたが、時がやってきて、私は自分が女の子であることを爆発させたいと思うようになった。

ワンピースが着れるようになった。腰の線が見える服でも着るようになった。男の人と話すときはそういうモードに切り替えるようになったし、「男の人すきでしょ?」ってきかれたときに、「まあね」と笑って言えるようになった。

自分がかわいくなろうとすることに、抵抗感がなくなってから、昔より自由が増したように思う。笑いたいときに笑って、言いたいことを云えているような気がする。そして、自分をもっとかわいくしてあげよう、大事にしようという気持ちを持つようになった。

Tバックをはくようになったのも、そういう気持ちからだった。うしろから見たときにおしりがあらわになるわけだし、履いてる間も自分が「Tバックをはいている」という意識がある。そんなセクシーなものを自分が身に着けられるようになったのは、昔との大きな違いだ。自分がきれいとかかわいいとかそういう女の子特有のものに近づいたときに、「自分なんて」と思わなくなったということだ。

Tバックをはいていると、ちょっとセクシーなことを隠れてやっている感じが、うれしい。正直、何をはいてるかなんて、見る人から見たらすぐわかるのだが(私もわかります!)、いまやセクシーな自分、かわいい自分を人に見せることをいとわない。たぶん、生まれたときから、女の子として育ってきた人、中学生のときにスカートの丈を上げることに抵抗がなかったり、前髪をピンでとめれたりしていた女子たちとは、私の女の子ヒストリーは全然違うと思う。今やっと、女の子としての自分を受け入れられた24歳は、これからその女の子としてそのど真ん中を歩いていきたいと思う!