無職になりました

私は今、シドニーのど真ん中に住んでいる。私は福岡出身のため、福岡より大きい規模の街に行くと圧倒されてしまう。人の多さ、物の多さ、建物の高さ、消費の速さ。対象が大きすぎる、あるいは多すぎて私は注意散漫になってしまって、頭がよく回らなくなる。

私は、あと一週間で現職を辞め、無職になる。坂爪圭吾さんが、無職について言及しているブログを書いていた時に重なって、自分も無職について考えている。

ツイキャスの中で、心に残ったのは、「結局、どこでドロップアウトするかだ」という言葉だ。大学を中退して、そのまま無職というパターン、私のように就活自体が嫌で、大学は卒業したけど、定職につかないパターン、正社員を何年かして無職になるパターンといろいろあるのだと思う。でも結局、どこで、この感じ私には無理だわと思うかであるという言葉に、そうだよねと相槌を打った。たぶんみんな結構嫌だなと思いながら、就活したり働いたりしてて、でもみんな嫌なことでも頑張らないと一人前じゃないと思い込んでるから、我慢大会を続けているだけで、いつかはその我慢も限度がきて、無職になるという感じなのかしらと思う。つまり、無職は社会的に「なまけもの」とか「そんなんじゃやってけないよ」というレッテルを張られる劣等生でるともいえるが、そんなに我慢してまで嫌なことはやらない勇気を持った人たちの緩やかな総称ともいえるかもしれない。

正直なところ、無職の人たちを見下している自分がいた。自分が、高校生のころや大学生のころ、ニートの人を見ると、輝ける場所があればいいのにみたいなことを思っていた。しかし、自分が大学四年生になって、みんなが就活をするという現象の中に埋もれてみて、これは私には無理だわと早々にあきらめ、とりあえず、知り合いのところにお世話になろうと思ってオーストラリアにきた。そして、いま、無職の第一歩に踏み入ろうとしている私は、以前の考え方とはかなり違っている。自分がいわゆる、輝く場所のないかわいそうなひと=無職というカテゴリーに属す予感は全くなく、今んところいろいろみてみたいとおもうから、定職につけないだけという考え方に変わりつつある。私は別に自分をかわいそうだなとは思わない。ほかの友人たちは仕事についてて、社会人何年目という感じで、学校の学年が上がるたびにお姉さん、お兄さんになっていく感覚で時間を過ごしているが、私はいつもぎりぎり感のなかで、次はこんなことしてみたいなーという空想と時々の実践の中で生きているから、私は時間に合わせて成長しない。何か経験をしたときに成長するから、ポケモンでいうと闘って、戦い抜いて成長していく人生である。まして、ちょっと強いポケモンと対戦したりすると一気に経験値をもらえてレベルアップできる。逆に言うと、時間がいくらたっても経験しなければ成長しない。所属してないから、何年どこそこに所属してましたということで、自分の力を証明できない。だから、傷ついても戦いに臨んでいかないといけない。人生はロールプレイングゲームと似てて、負けてももう一回闘うチャンスがある(お金が減ってたりはすると思う)。

正直、どっちでもいいなとおもう。仕事があろうがなかろうが。でも、私には就活して就職して、5年続けてとかは無理だと感じるから、闘うタイプの成長で行くしかないと思っている。そんなんだったら結婚できないよとか言ってくる人いるけど、そんなに結婚に夢を持たせてくれるような結婚をあなたはしてますかと問いかけたくなるし、その時に愛し愛され、助け合える人がいてくれればやってけると思う。同じ人と一生やっていくのと同じくらい、その時その時に最高のパートナーを見つけ続けることも難しいと思うから、どっちが優等でどっちが劣等とかはないと思う。